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◆ 優越欲(本能)があるから

  • 2007/09/17(月) 11:40:20

1の優越欲(本能)があるから、ですが、これも少しですが前述しました。図解に示しましたが、「相手をいじめ、相手を引き下げることで、優越欲を満たしている」、ということで、単に己の優越感に浸りたいだけなのです。優越欲、つまり名誉欲というものは、108の煩悩で知られるところの煩悩の一つであります。まずは、自分の腹底の心に名誉欲という煩悩があることを認識することが必要です。煩悩とは、「身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用」ですが、その煩悩をそのまま発動することは決して善いことではありません。

自分の腹底の心の中に名誉欲という煩悩があるという認識のもと、その煩悩が発動しないように、理性でコントロールすることが大切です。「優越感に浸りたい、優越感を味わいたい」と考えてしまうのが人間ですが、その誘惑を断り続けることで、優越欲の不毛さが理解できるようになり、優越感に浸ること自体が愚かであることが分かってきます。いじめをして優越感を感じたい、味わいたい、という考えが、いかに愚かで、情けないものなのか、恥ずかしいものなのか、人として劣っている行為なのか、をしっかり認識して頂きたいと思います。


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◆ 善悪の判断がつかないから

  • 2007/09/19(水) 15:23:09

2の善悪の判断がつかないから、ですが、これは前述した通り、正しい反省の仕方を学び、日々しっかりと反省(謝罪も含む)という行為を実践することにより、善悪というものが徐々にですが明確になっていきます。何が善で、何が悪なのかは、最初は難しいとは思いますが、道理を学んだ上で道理に照らし合わせること、周囲にいる大人達の正しい指導(注意・指摘・教え)があれば、段々と感覚的に研ぎ澄まされていき、ある程度熟達すれば、自ら物事に対する善悪をつけられるようになります。

反省することは、決して恥ずかしいことではありません。むしろ反省するという行為は潔い行為であり、尊敬されうる行為であると考えます。自ら犯した悪行に対して、自らの責任として認め、受け容れ、今後そのような行為をしないように、改めようと考えることは、とても勇気のあることであり、人として尊厳ある行為と言えます。

ここで注意が必要なことは、「その人は反省することで負けを認めた、あるいは悪をしてしまう劣った人間である」、との認識を、反省し謝罪した人間に対して抱く人達がいますが、これは飛んでもない間違いであり、そう捉えてはいけない、誤認識であることを断じておきたいと思います。こういう捉え違いをする方が結構いるのですが、悪い行為に対して真摯に責任を認め、それに対して謝罪をすることは、相手に自分が劣ったことを宣言することではなく、自分の今回の行為を謝罪する、あるいは、自分の悪さの一部(一面)を謝罪することであり、全人格を謝罪するものではない、ということです。こういった誤認識の方々が大勢を占めてしまう世の中ですと、なかなか反省・謝罪という行為自体が敬遠され、履行されていかないのは必定ではないかと思います。

また、反省の効用として挙げられるのは、その反省を通して、自分を振り返り、自分自身の醜さと真摯に向き合えること、つまり本当の自己と対峙できる時間が得られる、ということです。そして、本当の自己と対峙しながら、己を知り、人間を学ぶことにより、確実に人として成長できるのです。裏を返せば、反省なき人に、人としての成長は有り得ない、ということができます。

人は、不完全な存在ですから、反省を繰り返しても、間違いを犯す可能性を持っています。たとえば、反省の時に、自己と向き合った際、「私は、悪口を言いたい。」という本心に気づいたとします。これは、本心であるので、修正したり、あるいは、抑圧という形で消去したりすることは不可能です。この本心は本心として認めることがまずは肝心で、ただ、この本心の思うがままに発動させてしまえば、当然周囲を傷つけることになるので、それは善いことではありません。ここで登場してくるのが、理性です。「腹底の心である本心で、悪口を言いたい」というのを理性で把握しつつ、理性でコントロールして、この悪口が不用意に発動してしまうのを注意すればいいのです。

人は何かの縁で、腹底の心にある悪い思いを発動させてしまいがちですが、その悪い思いをしっかり正面から認識し、受け容れてしまえば、その悪い思いを把握(注意)しながらの行動になるので、容易に発動させることはなくなります。また、その何かの縁というものも、自分にとって悪い縁であると判断できれば、遠ざけることも可能になりますので、さらに発動の防止になります。

ここで、認識を改めて欲しいことは、人というものは、そもそもキレイな心を持っているわけではなく、キタナイ心を持っているものなのだ、ということです。相手をいじめたい、貶めたい、妬みたい、バカにしたい、汚したい、等々、とにかくキタナイことを皆、腹底の心では思っているものです。妄想のところで話をしましたが、人は己を美化したい、という妄想を持っています。そして、相手も美化したい、と思っていて、「人間というものは美しい心を持っているはずだ」、との誤認識をしてしまうのですが、これは間違いだ、ということです。

ただ、注意して欲しいのは、心がキタナイのだから、そのキタナイ心を誇示して生きていいのか、と言われれば、これは、正しくありません。「悪を悪と知って悪を避ける生き方」をするのが大切であり、心に関しても、キタナイ心をキタナイ心と知って、キタナイ心を避けるふるまい、を心掛けることが重要となります。

しっかり反省し、自分と対峙する時間が増えていけば、感性が磨かれ、何が善で、何が悪かは、分かってきます。決して、醜い自分の心から逃避するのではなく、真正面から向き合い、受け容れていくことを忘れないで頂きたいと思います。

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◆ いじめがおもしろいから

  • 2007/09/21(金) 23:21:35

3のいじめがおもしろいから、ですが、これは、「テレビ等の影響により、いじめやいじりはおもしろいものだ、と刷り込みを受けている」という背景から、いじめが肯定される雰囲気になっていると考えます。知らず知らずのうちに、自分の心の奥底に「いじめはおもしろい」という概念が刷り込まれて、いじめをするのも、いじめられている様子を見るのも、おもしろい、になってしまっているのでしょう。

なぜ、そのような刷り込みを受けてしまっているのでしょうか?

・テレビに出演する芸人のいじめる様子やいじめられる様子がおもしろおかしく演出されている
・テレビの中の世界と、現実の世界とを混同している風潮(情報の選別ができなくなっている)
・おもしろ至上主義を絶対的なものとして、おもしろければなんでもあり、おもしろければ許される、という風潮を我々国民が容認してきた
・おもしろい人間が権力を持つ時代になってきた
・法律に抵触しなけば、なんでもあり、の風潮
・欲に満たされていて、暇を弄ぶ時代
・大人世代の腐敗、国民の質の低下

以上のように、見当がつくことを挙げてみました。

いじめを特集とする番組で、ある子供が驚くような発言を坦々と答えていました。

「いじめるのが楽しくなって、やっていたら、仲間にもされた」

この子供が決して特別であるわけではなく、恐らく日本全国中の子供達が同様に抱いている感覚なのだろう、と、解釈できます。いじめるのが楽しい、いじめるのがおもしろい、これは、テレビを中心とするメディアが喧伝してきた悪い成果であり、ここまで洗脳させてしまった大罪に対して認識し反省する必要があります。と同時に、そういったメディアに対して、我々大人世代は、大筋容認してきたわけで、監視機能という意味においては、機能不全であったことを強く反省せねばならないでしょう。

いじめをすることで仲間にされる、という現実にも注目しなければなりません。ある人間をいじめれば仲間として認め、いじめることができなければ仲間として認めない、いわゆるいじめを踏み絵にしているということです。ちゃんと踏めれば仲間であり、ちゃんと踏めなければ仲間ではなく、いじめの対象にされてしまうわけで、これはある種の拷問であり、腐敗しきった人間関係を露呈していると言えます。「いじめができなければ、人間関係を結べない。」、という悲しい現実。

いじめはおもしろいものでもなく、楽しいものでもなく、卑劣極まりない悪しき行為です。メディアによる悪しき喧伝により、いじめが正当化され、あたかも権利を獲得したかのような扱いになっておりますが、これは作られた虚飾の世界であり、デタラメであると言えます。前述した通り、道理で判断すれば、明確に悪しき行為であるわけで、世間の風潮に動じない認識が必要です。

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◆ 欲を満たしたいという渇望感があるから

  • 2007/09/24(月) 14:20:44

4の欲を満たしたいという渇望感があるから、ですが、これは「欲を満たすことが当たり前になり暇である状態を嫌う。その暇を解消するためにいじめを行う。」と、図解にて示しました。ここで、渇望を定義しておきます。

「心の底から切実に願い望むこと」

我々日本人は、経済大国として、欲を満たせる社会になっており、生まれながらにして欲を満たすことに慣らされている、ところがあります。言い換えれば、欲を満たすことが当たり前、と言えると思います。この当たり前が非常に危険であり、当たり前の状態が得られないと、どうなるのかと言えば、「欲を満たすための対象」を飢えた狼のように探し回り始める、いわば禁断症状のようになるということになります。そして、その対象とは、容易に手に入れば都合が良く、その典型例として、「いじめられる人間」に行き着くわけです。欲を満たすための対象として、いじめられる人間は格好の標的だからです。

日本は先進国という中で、娯楽天国、とも言えます。生まれてすぐに過剰なオモチャに囲まれ、外に出れば、アミューズメントパーク、テーマパーク、ゲームセンター、インターネットカフェ、カラオケボックス、レンタル店などの娯楽施設が口を開けて待っていてくれる状況。これでもかと娯楽を過剰に供給する社会。この社会に暮らしていて、欲を満たすことが当たり前、になってしまうのは、ある意味必然であり、「欲を満たすマシーン」、に日本人がなっているのだと思います。

「子供に我慢がなくなってきて困る。」と訳知り顔で述べる方もおられますが、我々大人が営んでいる産業の多くは、「人の欲をいかに引き出すか、人の欲をいかに満たすか、人の我慢をいかに壊すか」という戦略のもと、欲の対象を過剰に市場投入しているのが実態と言えます。つまり、子供の我慢の破壊を大人自らが演出しているわけで、決して子供だけに原因があるわけではない、ということが分かるはずです。また、大人が自ら率先して欲を満たす行為をして我慢しないのに、子供に我慢がなくなってきて困る、とは本来であれば、口が裂けても言えないセリフではないでしょうか。

過剰に欲の対象を供給していけば、人々の心は、「欲を満たさなければならない」という強迫観念を持ち、先ほど述べた「欲を満たすマシーン」となってしまい、「次々と欲を満たす対象を探し、際限なく欲を満たす行為にのめり込んでいく」、という愚かな人間を拡大生産していくことになります。エルメス、グッチ、プラダ、ヴィトンなどのブランド品を欲に任せて買い漁る、パチンコ、競馬、車、携帯電話、風俗店に填る、という愚かな諸行。そんな大人達を見て、子供達は、欲を満たすためだけの生活をどう思い、どう感じるのか?そんな大人達を心から尊敬し、尊重しようと思うのであろうか?大人達は、欲を満たすという行為を真剣に考えなければなりません。

「欲を満たすことの何が悪いのだ?」と、反論する方もおられると思いますが、欲とは煩悩であり、その煩悩を制限なく満たしていけば、動物以下、ということになります。人間は動物なのだから動物以下でも構わないではないか、との暴論があれば、我々人類の“大脳新皮質で思考できる理性”の存在は無視される、ということになり、人としての意味がないのではないか、下等生物と同等ではないのか、と危惧してしまいます。「怒って、欲を満たして、はいそれで終わり」、という人生は、爬虫類並の生き方と言えるのではないでしょうか?

私は、「欲を満たすことが人生である」、「人は金儲けをしてなんぼのもんじゃい、であり、金持ちになれば尊敬される」、と勘違いしている人が多いのではないか、と考えます。マリーアントワネットの末路を見れば、豊臣秀吉亡き後の豊臣家を見れば、欲を満たすことが人生である、という考えがいかに愚かであるかが理解できると思います。

人の生き方は、欲に振り回されていくのか、欲を制限してコントロールしていくのか、の二つに集約できるのではないでしょうか?ぜひ、胸に手を当て自分の人生を振り返って考えてみて下さい。

欲を満たす、ということに関連して、わがまま好き放題に生きることと、自由に生きることとが同じ意味で捉えている方がいますが、これは、全く意味が違います。それを理解するためには、地球という観点で考える必要があります。我々人類は、地球という有限の空間にて生を営むことを許された存在です。どんなに頑張っても、地球上に生きている以上は、全てにおいて有限であり、自由についても有限である、と言えます。

仮に、地球の中にある日本において、ある環境破壊を行えば、少なからず生態系は崩され、諸外国の人々、動植物、地球に対して悪いダメージを与えてしまいます。

「私がこれくらい悪さをしても大丈夫だろう。これくらいのことをするのは私の自由だ。」

との考えで、自由を謳歌して、わがまま好き放題をしてしまえば、確実に、迷惑をかけることになり、悪い影響を与えることになるのです。つまり、我々には、「有限の自由」は与えられているが、「「無限の自由」は与えられていない、ということです。自由をはき違えて「無限の自由」を主張する人がいますが、これは大変な間違いです。地球という有限の空間の中で、有限な存在である人間が、欲望だけ無限に求められるはずはないのです。我々人類は、「有限の自由」を守るために、自由を行使するにあたって、適切な制約を設けて履行していかなければいけないわけで、同じ意味で、欲を満たすことも有限であるべき、なのです。

欲を満たしたいという渇望感があるから、いじめが起こる、つまり「欲を満たすことが当たり前になり暇である状態を嫌う。その暇を解消するためにいじめを行う」ということですが、「欲は満たすものではなく、欲は制限するもの、と学ぶ」と図において説明しております。暇である状態を嫌い、飢えた狼のように欲を満たす対象を探している人は、「欲を満たさなければいられない症候群」になっていると言っても過言ではないわけで、その心の病を癒すためにも欲の制限を課題にされたらいいと考えます。

「いくら欲を満たしても満たされることは永遠にない」、「いくら欲を満たすためにモノを所有しても死後に持っていくことはできない」であるならば、欲を満たすことの愚かさ、そして虚しさはご理解頂けると思います。欲望が主人で自分が奴隷、になるのか、自分が主人で欲望が奴隷、になるのか、その選択は、あなた自身にかかっていることを認識し、しっかり自分と向き合って考えて頂ければ、自ずと正しい答えが見つかるはずです。

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◆ イライラを解消したいため

  • 2007/09/28(金) 11:11:20

5のイライラを解消したいため、ですが、これも前述した通り、真実を知り、しっかり学ぶことにより、イライラ自体を軽減していくことが解決法となります。ただ、真実というものはキレイごととは真逆の関係にありますので、人が受け容れにくいもの、であることは、ある意味事実だと思います。

真実とは、嘘偽りのない本当のこと、ですが、先人の知恵による慣習や常識といったものの中に、嘘偽りはあるものだ、との認識がまずは必要で、疑いの眼を持つということです。ただし、嘘偽り探しをしても膨大な量に及びますので、そういった作業は不毛であるので、しないことが賢明です。真実を知るためには、徹底的に真実を学び、どうしてそれが真実なのかを考えてみること、そして、その真実通りの行動をしてみて、体で体験してみること、これが大事です。

真実を知り、真実に沿って生活をすれば、その真実に裏切られることはありませんので、イライラすることも軽減していくと考えられます。よく、イライラしてはいけない、と自分を圧力で律しようと試みる方がおられますが、根本原因を解決しない限り、いくら強力に圧力をかけても、イライラはなくなりません。イライラの根本原因の一つは、真実を知らないから、という認識をして頂きたいと思います。

もうひとつ、図解で示しましたが、イライラの原因は、不条理な社会だから、ということが挙げられます。今の時代、競争社会の煽りかもしれませんが、不条理なことが当たり前のようにまかり通っています。不条理な社会とは、条理ではない社会、ということですが、これは道理に沿った社会ではない、と言い換えることができます。

もともと人間というものは、条理な考え、つまり筋を通したいという考えを持っているものです。しかし、現代の混沌とした社会において不条理さに触れてしまうと、違和感、怒り、失望感などを抱き、「なんて不条理なんだ!」、と叫びたいぐらいの気持ちになってしまいます。この叫びたいくらいの気持ちがイライラに繋がり、不条理さに出会う度に、イライラしてしまうのです。ですから、これを解決するためには、腐敗しきった不条理な社会から、道理に沿った社会に変革していく、しかないということになります。

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⑥いじめの原因にどう対処していくのか

  • 2007/10/02(火) 17:42:37

いじめについて、様々な角度から見てきました。ここで、いじめに関して繰り返しにはなりますが、整理したいと思います。

いじめの原因の背景になるもの → 「大人世代の腐敗」

いじめの原因 ①優越欲がある
       ②善悪の判断がつかない
       ③いじめがおもしろい
       ④欲を満たしたいという渇望感がある
       ⑤イライラを解消したい

①の優越欲というのは、本能であり、人が生まれながらにして持っているものです。では、この優越欲を満たし、優越感を味わう行為が正しいのか、と言われれば、決して正しいものではありません。いじめで相手の価値を引き下げることで、優越欲を満たすことは、利己的そのものだからです。

この優越欲は、人が本来持っているものと認識した上で、その優越欲は容易に出してはならないもの、容易に満たしてはならないもの、と理解し、子供世代に教えていくことが大切です。

ところが、人は、「大人世代の腐敗」という背景のもと、欲望を満たすことを暗に肯定しているところがあり、その結果、優越欲さえも満たしても良いだろう、と解釈してしまうのが、今の日本人の感覚と言えます。欲望を満たすことは制限されるべき、と学び、優越欲も同様に制限されるべき、と認識することで、いじめ発生は抑制されていきます。


②の善悪の判断がつかない、ですが、これはそもそも明確な判断基準がなかったことが最も大きな要因だと言えます。従来は、道徳等を基準に善悪の判断がなされてきました。しかし、道徳には、一貫性がなかったり、矛盾を内包していたりして、明確な基準としては機能してこなかったのが事実です。

そこで、善悪の判断基準には「道理」を挙げ、悪をしっかり認識していくために「正しい反省の励行」を挙げました。
善悪の判断に際しては、道理に照らし、道理に沿っているのか、道理に反しているのか、を判断基準に判断します。ただ、道理のみで善悪を体得していくのは困難であり、反省という行為が必要になってきます。
反省という行為は、悪いことをした時に自分の心を振り返り、自分の心の中の悪しき部分を見つめる行為です。この悪しき部分を知り、受け容れることで、人は悪というものを学びます。悪というものを知れば、当然その反対である善も分かるようになり、結果として善悪を理解できたということになります。また、反省という行為は、謝罪を伴った形で行うことが重要であり、外すことはできないことも念頭におくべきです。

道理を学び、体得する。正しい反省の仕方を学び、体得する。この2点を体得するのは、容易なことではないので、日々修練することが必要です。そして、修練していくことで、善悪の判断基準が自分の中に芽生え、最終的には、自分で善悪を明確に判断できるようになります。

ところで、今なぜ善悪の判断がつかない人達が多くなったのか、と言えば、それは、「大人世代の腐敗」を背景に、「道理を教えられない」「正しい反省の仕方を教えられない」「反省の習慣化ができない」という要因が発生して、その要因がために善悪の判断がつかない人達が多くなったと言えます。

また、「大人世代の腐敗」を背景に、多様性社会が蔓延してきました。その多様性社会が許してきた風潮には、「なんでもありの風潮」「「おもしろ至上主義の風潮」「注意・指摘することはタブーとする風潮」がありますが、これらの風潮により反省する機会が極端に減ることになりました。その結果、反省する機会が減ることで自分の中の悪を見つめる時間がなくなり、善悪の判断がつかない人達が多くなってしまったと言えます。

③のいじめがおもしろい、ですが、これは、「大人世代の腐敗」を背景に、テレビ等のメディアが劣化し、いじめやいじりはおもしろい、という強い刷り込みを行ったことが原因と考えられます。いじめがおもしろいという刷り込みを受けた人間が、適当な人間に対していじめを行うのは、善悪の判断基準が希薄な人間にしてみれば、ごく当たり前の行動パターンと言えます。

そもそも、いじめがおもしろいことなのか、と言えば、決しておもしろいことではありません。いじめは、先に優越欲と述べましたが、言い換えれば欲望であり、欲望を制限なく満たすことは悪しき行為であることから、必然的にいじめは悪しき行為と言えるわけです。

いじめが悪しき行為である、との認識ができたならば、たとえテレビ等でいじめやいじりが肯定されたとしても、その喧伝に負けることなく、道理に沿った生活をすることが必要です。


④欲を満たしたいという渇望感がある、ですが、欲を満たすことが当たり前になり、欲を満たせない状態、暇な状態を嫌うことが原因と考えられます。

これは、まず「大人世代の腐敗」を背景に、欲の対象を過剰供給する社会を構築したことで、欲を満たすことが常態化したと言えます。そして、人間というものは、欲を満たすことが常態化してしまうと、その欲の虜になり、欲を満たさずにはおれない状態になってしまいます。従って、仮に、欲を満たせないという状況に出会うと、禁断症状が出て、渇望感という感覚に見回れることになります。渇望感という状態のまま、暇な時間を過ごすことに耐えられない一部の人間は、手近なところで、いじめを行ってしまうということなのです。

今の時代において、欲を満たすことは肯定されている風潮であるので、なかなか渇望感を消すことは難しいことと考えられます。しかし、人間は欲まみれで欲望を際限なく満たしていいわけではなく、欲望は制限するもの、と学ぶべきです。欲望を制限して生活することが当たり前になってくれば、当然、渇望感自体も不用意に出てくることもなく、従って、いじめをしようとの思いも持たなくなると考えます。

⑤ イライラを解消したい、ですが、このイライラが起こる原因は、物事の真実を知らないために、自分や周囲に対して妄想を抱き、期待をかけ、その期待に見事に裏切られることにより落胆するからであります。なぜ、物事の真実を知らないのかと言えば、それは、「大人世代の腐敗」を背景に、キレイごとが強調され、真実が軽視されたからです。

また、「大人世代の腐敗」を背景に、不条理な社会が蔓延し、その不条理さに対してイライラ感が発生していることも挙げる必要があります。本来、人間というものは、条理な考えを持ち、不条理な考えを嫌うものなので、今現在ある腐敗しきった社会に触れてしまうと、あまりの不条理さ故に、イライラが出てしまうのです。

イライラを根本から解消するためには、イライラを圧力で押さえつけるのではなく、物事の真実をしっかり学び、キレイごとというデタラメに左右されないこと、そして、自分が抱く勝手な妄想に振り回されないことが大事です。そして、不条理な社会に対しては、一人一人が考えを改め、道理に沿った生活をすることで、条理な社会を実現していくしかない、と考えます。


以上、大人世代の腐敗といじめの原因との関係を示しながら、いじめの解決に向けての考えを説明してきました。その中でも、特に重要なのは、「道理を学ぶこと」、「正しい反省の仕方を学び、しっかり反省し、謝罪を行うこと」、「物事の真実を学ぶこと」の3点が挙げられます。これらは、人として生きていく上で、基本となる智恵であり、この智恵なくしては、人が人になれないとも言えます。今、起きている大人世代の腐敗は、そもそもこの智恵を修得していないところに原因があり、この智恵を学び、しっかり修得していけば、この腐敗も軽減していきます。

いじめの原因の背景は、大人世代の腐敗としました。まずは、大人世代が智恵を学び、修得し、この腐敗社会を修正していくことが先決です。それと同時に、大人世代は、智恵を体得した中で、子供世代にも正しくこの智恵を教え、一緒に世の中を浄化する気運を高めていかねばなりません。

日本社会を腐敗社会からまともな社会に変革するためには、大人世代と子供世代の相互の理解が必要であり、それを基礎にして、今後、協力し合いながらの社会作りを実行するべきです。大人世代は子供世代を信頼し、子供世代は大人世代を信頼していく中で、社会の歪みの根源であるいじめ問題という猛威も、いつのまにか和らいでいくはずだ、と確信しております。

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⑦いじめ問題への注意論点

  • 2007/10/08(月) 12:16:58

◆ 火の円陣理論

  • 2007/10/08(月) 12:18:46

いじめられている子供に対して、「強くなれ!」とか、「強い心を持て!」とか、「強い気持ちで立ち向かえ!」とか聴きますが、これは正直に言って無理な相談と言わざるを得ません。もし、そうすることができれば、すぐに実行するだろうし、もし強くなれる方法論があれば、みなその方法論に沿って鍛えているはずです。ところが、日本中、どこを探しても強くなるための方法論などないのが現実であり、こういった意味のない精神論は、子供にとっては、暴論としか言いようがなく、迷惑な存在でしかないのです。

なぜ、「強くなれ」、というのが無理な相談なのか、を分かりやすい例えに沿って説明します。

直径2メートルの円があって、円に沿って引火性の油を注ぎ、その円の中心に、A君は無理矢理立たせられ、すぐさま、油に火をつけられ、見る間にA君は、火の円陣に囲まれるという状況になったとします。
この時、円の外にいたB君が、「A君、心を強く持てば、大丈夫だ。耐えられる。頑張れ。」との励ましの声をかけましたが、火の円陣は、A君の背丈に達する勢いで、火力が弱まる兆しはありません。

いくらA君が心を強く持ち、頑張ろう、生き抜こう、と決心したとしても、火力の程度が強い場合には、最終的に、焼け死んでしまうことでしょう。
それを、B君は、当事者ではないという立場で、安易に精神論を説いて励ましていますが、言われたA君にしてみれば、「どう頑張れというのか」、ということだと思います。

所詮、人間である以上、火力の程度が強い場合には、限界があるわけで、B君のように、ただ精神論を説くという応援の仕方をするのではなく、火の円陣を消火したり、火の円陣の中に飛び込んで一緒に耐えたり、という方法がA君を救う現実的な方法と言えるのではないでしょうか。

この火の円陣という例えをいじめに当てはめて考えてみます。

A君は、直径2メートルの円の中心に立たされ、周囲に5人のいじめる同級生が立っていたとします。A君は恐ろしくて円の中心から微動だにできず震えていました。5人は悪口を言ったり、ケリを入れてきたり、と、いじめを開始しました。その時、B先生が丁度現場を通りかかり、円の外から「A君、心を強く持てば、大丈夫だ。耐えられる。頑張れ。」との声をかけましたが、5人のいじめは執拗を極め、A君はただただ泣き崩れるだけでした。

この例えは、現実的ではありませんが、この先生のような励ましがあった場合に、A君のようないじめられている子供が奮起して相手に立ち向かっていくことはないでしょう。

いじめられている子供にとっては、常に見えない加害者が周囲にいるような状態で生活を送っているようなものであり、B先生のように、安易な精神論で励まされたとしても、目に見えない亡霊である加害者自体が排除されるわけではないので、なんの力にもなりません。むしろ安易な精神論により、己の弱さを呪い、責め、さらに精神的に追い込まれているのではないでしょうか。

B先生が、このA君を救うためには、火の円陣の例のように、加害者を消滅させたり、A君の側に寄り添い精神的な支えになってあげたりすることだと言えます。

加害者を消滅させることが難しいのであるならば、せめてA君の側に寄り添い、A君の辛さを分かってあげる良き理解者になることが必要なのではないでしょうか。

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◆ 「空気を読め!」は、いじめられた人間以外を擁護する

  • 2007/10/12(金) 18:57:05

前述した通り、「空気を読め!」とは、「場の雰囲気優先主義」であります。周囲の了解なしに突出することは許されない、という保守的で横並びの発想から来るもので、小心者の考えと言うことができます。

ある学校で、いじめの事件調査のために、いじめられた生徒以外の生徒にも調査したい、との打診を教育委員会がしたところ、PTAの反対と次期担任の反対があり、頓挫してしまった、というケースがあったそうです。

次期担任の反対の弁は、「私は、他の子供が全員傷ついていると思っているんです。だから、聞くこと自体が私は子供を傷つけると思っているんです。」という内容で、終わったことに対して、もうこれ以上関わりたくない、という主旨のようでした。これは、どういうことかと言えば、弱者は救済しないで、大多数の強者を救済したい、と、解釈してもいいと思います。また、いじめという行為に対しての重み、被害者の苦しみに対して、この教師は軽く見ていることも窺い知ることができ、教育の現場で人の成長に携わる人間としては不適格と考えざるを得ないでしょう。

「いじめがあったからって、他の生徒の迷惑になるのだから、事を荒立てるなよ!」

次期担任は、恐らくこういった考えの持ち主であったと分析されます。この考えの根底にあるのは、いわゆる「空気を読め!」であります。「悪い事件であったとしても、他の大多数の人間に迷惑や影響を与えるならば、空気を読んで、なかったことにしよう、場の雰囲気を最優先にしよう、泣き寝入りをしてくれ」、というものです。これは、教育現場のみならず一般社会、会社生活においても蔓延している悪しき慣習になっています。そして、この悪しき慣習を悪しき慣習であると糾弾し、その慣習を止めさせようと、率先垂範する人間もいません。この慣習は、一部の利得を得ている強者の論理であり、到底許されるべきものではありません。

次期担任は恐らく、学生時代から空気を読め、という考えに無意識下で心酔し、常に大多数派に付く、という行動をしてきた人物だと推察されます。もし仮に、教育委員会の調査を受けます、との言を述べれば、PTAや学校関係者から非難を浴び、吊し上げられる可能性があるわけで、善悪で判断したというよりも大多数派につくという安直な選択を行使したと言えます。

「空気を読め!」と言える人間は、強者であり、みなのコンセンサスを取ることに長けている、この世の中で言えば、好人物、とされる人です。みなに好かれている、支持されている、イニシアティブがとれる、と高慢になっているタイプの人間で、人の弱みや痛みを心の底からは理解できない、上辺だけを取り繕い続けている卑しい人間とも言えるでしょう。

今の時代、この腐敗しきった社会において、私も含め、こういった卑しい部分を必ず持っているわけで、これは、保身から来るもの、自己中心性から来るもの、であり、まずは己の心と向き合って反省していかなければいけないと考えます。

「私はそんな考えはないし、人へのおもいやりもある」と反論されてくる方もおられると思いますが、この腐敗社会の中で生きている以上、環境に感化されないはずはないので、過信による自己評価をしないで真摯に自己と向き合って頂きたいと思います。

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