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◆ 多様性を背景に反省する機会が激減した

  • 2007/06/28(木) 14:44:21

では、なぜ多様性の容認がいじめの程度を悪化させた原因と言えるのでしょうか?

A. なんでもありの風潮(法律に触れなければ何をしてもいい)

B. 注意・指摘することはタブー(禁句)とする風潮

上記2点が、多様性を背景に顕著に現れている風潮です。

なんでもあり、とは、「法律に触れなければ何をやってもいい」、という考えで、元ライブドアの堀江氏や村上ファンドの村上氏などは、この考えに近い思想を持っておられたのではないかと推測します。確かに、法治国家においては、最低限、法律を守りさえすれば、許される、かもしれません。しかし、道徳・倫理、人道的立場、絶対的な善悪、道理の観点からすれば、たとえ法律に抵触していないにせよ、人の道から外れる行為は、許されるはずもありません。

法律に抵触しないから、という理由を盾に世間ではかなり“横暴な行為”が、“不条理な行為”が頻発しているのではないか、と推測されますが、こういった横暴で理不尽な行為の被害にあっている人間からすれば、到底許される行為ではありません。被害を受ける立場になっていない人達、つまり加害者の人間が、なんでもありの悪い面を活用しているのですが、このことにより日本人の質の低下、治安の低下、犯罪の多発、拝金主義の風潮の蔓延、が顕著に現れている、と言えます。

注意・指摘することはタブーとする風潮とは、「多様性」と「個性重視」という考え方(風潮)により、ある人間が行った行為に対して、悪い行為である、と認識しながらも、指摘しにくい、注意しにくい、という風潮であり、結果として悪をのさばらせることになります。この風潮を助長させたお題目とは、「多様な考えがあり、多様な人間が存在していい、そして個性を重視していこうではないか」という、いかにも正しいかのような表向きを持つのだが、無軌道にわがまま好き放題をする人間からすれば、なんとも有り難い風潮と言えます。

この風潮は、そもそも多様性と個性重視を導入した時点で、悪い行為に対する注意・指摘の有り様を全然考慮してなかったという欠陥のおかげで、注意・指摘することはタブーとする風潮を台頭させてしまったと考えることができます。

今の世の中、かなり情報や考えが錯綜している面もあって、良い多様性や個性(周囲に対する配慮のあるもの)であれば、それは大手を振って肯定すればよいのですが、どうも悪い多様性や個性であっても、しぶしぶながら容認せざるを得ない、という苦しさがあるように見受けられます。

前置きは長くなりましたが、「なぜ多様性の容認がいじめの程度を悪化させたのか」と言うと、それは正しい反省の仕方を知らないという事に加えて、多様性容認という時代背景が後押しをする形で、反省する機会が極端に減ったからです。

大人達が多様性社会に浮かれに浮かれ、なんでもありの社会を容認し、悪いことをしても注意や指摘が極力なされない、となれば、大人達もそうですが、子供達は注意・指摘される機会を失い、それに連動して反省する機会が減り、善悪がますます判断できなくなることで、いじめをしてしまう、あるいは、いじめの現場を見ても見ぬ振りをしてしまう、という現状に行き着いてしまうわけです。

これは多様性の負の側面が、大人社会のみならず子供社会をも飲み込んだ結果、子供達の腐敗化、子供達の質の低下を招いているのではないでしょうか。

大人社会においても、腐敗した大人同士のやりとりなので、当然職場において、いじめに類することは起きていることでしょう。自殺、精神疾患、過労死、DVの増加は、いじめに端を発している可能性を秘めており、大人達にとっても、多様性の容認は、明日は我が身と言えるのではないでしょうか。

子供は、親の背中を見て育ちます。大人社会でいじめが起きていれば、当然、子供社会においてもいじめは起きるわけで、我々大人世代は、自らの責任を認識し、衿を正し、間違った多様性の容認を破棄していかなければなりません。

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