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◆ いじめを悪と認識するためには

  • 2007/06/28(木) 14:40:02

いじめを悪と認識するためのある行為とは、「反省する」という事です。ここで、反省を私なりに定義しておきます。

「自分が過去にした悪かった言動、あり方に対して、その事実を認識し、認識した上で、その事実を受け容れ、その悪かった言動、あり方を、改めようと考えること」

これが「正しい反省」という行為であり、必要以上に自分を責め立てたり、必要以上に自分を追い込むことではありません。勘違いされている方もおられると思いますので、「正しい反省」と「間違った反省」を分かりやすい表現で説明したいと思います。

正しい反省:自分がした悪い行為を素直に認め、今後しないようにしっかり考えること(定義を分かりやすく表現したもの)

間違った反省:自分がした悪い行為を素直に認めることは無視し、ただ単に自分を必要以上に責め立て、追い込み、自己嫌悪に陥ってしまうこと(間違った反省の仕方で必要以上に苦しんでしまう)


間違った反省、のような捉え違いをしてきたおかげで、反省という行為は敬遠されてきましたが、この反省という行為が日常生活で減る、つまり悪い行為をしても振り返って反省をしないと、当然善い悪いの判断力が鈍くなり、いじめについても善いのか、悪いのか、すら判断できなくなる、という末期的な状態に陥ります。

「なぜ、反省をしないと善悪の判断力が鈍くなるのか?」について、分かりにくいと思いますので補足的に説明を付け加えます。

まず、悪(悪い行為)を学ぶ方法には、他人の行為から学ぶ方法と、自分の行為から学ぶ方法がありますが、本当の意味で悪を学ぶには、自分の行為から学ぶ、つまりは、自分の中の悪を見つめるしかない、というのが前提になります。他人の行為から学ぶのは、所詮、知った、分かったのレベルであり、他方、自分の行為から学ぶのは、理解、体得のレベルに達するものであり、両者は似て非なる関係にあります。

仮に、ある人が悪い行為をしたにもかかわらず、反省しないとすると、自分の中の悪を見つめる機会を失うことになります。これは、悪というものを認識し、学ぶ機会を失った、と言い換えることもできます。そして、反省をしない、という行為が何度となく累積されていくと、その人は、悪が分からない人間になる、と言えます。悪が分からない人間であれば、当然、区別という意味で、善も分からないので、善悪の判断ができないことになり、結果として、この人は善悪の判断力が鈍い人間ということができます。以上より、なぜ反省しないと善悪の判断力が鈍くなるか、の意味が理解できたと思います。

善悪の判断力が鈍くなったことで、いじめに対しての善悪の判断が希薄になってきている昨今ですが、要は、悪いことをしたら、しっかり反省する習慣をつけること、が大事であり、これによりいじめが悪であるという認識が持てるようになります。そのためには、もともと生まれながらにして反省するという習慣を人間は身に付けていないので、日々の練習が必要になってきます。また、反省の対象には、大小はなく、どんな小さなことであっても、反省は怠ってはならない、という心構えも必要です。

自分で、自分の行動を判断し、「悪いことをしたから、今回は反省せねばならぬ。反省をしよう。」、という自律的な段階になるまでは、周囲の大人達が、悪い行為をしたら、注意や指摘をし、間違いを教えてあげることが必要かつ重要なので、大人達の責任、役割は非常に大きいと言えます。大人達が道理に沿って、適切に注意・指摘をすることで、子供達は正しい反省の仕方を学び、反省の習慣を身に付けることができるのです。

反省の重要性について述べてきましたが、それではもともとどういった時(場合)に反省はするべきなのでしょうか?

・相手(周囲、社会)に迷惑をかけた時
・相手(周囲、社会)に危害を加えた時
・相手に指摘された時
・悪いことをした、と思えた時
・間違いを犯した時
・道理に反する行為をした時

全てを網羅しているわけではありませんが、6点挙げました。いずれも、自分の都合で判断してしまえば、反省の対象にならない可能性があります。それは、人というものは、そもそも生まれながらにして、善悪を明確に判断するものさしを持っていないがために、自分のエゴ(利己主義)で判断する傾向にあるからです。ですから、当然のことですが、周囲の大人達が、善悪を状況に応じて教えていく必要があります。

ここで、注意が必要なことは、大人自身が主観性を発揮して、自分なりの善悪で教えることは絶対に避けねばならない事であり、あくまで限りなく客観性を伴った善悪を教えていかなければならない、ということです。つまり、道理に沿った中でしっかり善悪を判断した上で教えていく、ということになります。また、世の事象(事柄・行為)に対して、全て善悪に分けてしまおう、との考えで、枝葉に至るまで、細かく教えなければならない、と躍起になる事は、子供の立場からすれば、混乱の極みになってしまう事なので、幹の部分、つまりは大筋を教えるというスタンスが大切であり、後は子供の個々の判断を見守るくらいの姿勢が適当であると考えます。

今まで、「反省」という言葉に対して、必要以上に自分を責める、追い込む、必要以上に責任を感じる、という誤認識・誤解のもと、敬遠されてきて、反省するという行為自体、疎かにされてきましたが、正しい反省の仕方をしっかり学び、反省を実行することで、いかに反省という行為が大切であるかを実感できるようになると同時に、善悪も徐々に理解できるようになっていきます。

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