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◆ 欲を満たしたいという渇望感があるから

  • 2007/09/24(月) 14:20:44

4の欲を満たしたいという渇望感があるから、ですが、これは「欲を満たすことが当たり前になり暇である状態を嫌う。その暇を解消するためにいじめを行う。」と、図解にて示しました。ここで、渇望を定義しておきます。

「心の底から切実に願い望むこと」

我々日本人は、経済大国として、欲を満たせる社会になっており、生まれながらにして欲を満たすことに慣らされている、ところがあります。言い換えれば、欲を満たすことが当たり前、と言えると思います。この当たり前が非常に危険であり、当たり前の状態が得られないと、どうなるのかと言えば、「欲を満たすための対象」を飢えた狼のように探し回り始める、いわば禁断症状のようになるということになります。そして、その対象とは、容易に手に入れば都合が良く、その典型例として、「いじめられる人間」に行き着くわけです。欲を満たすための対象として、いじめられる人間は格好の標的だからです。

日本は先進国という中で、娯楽天国、とも言えます。生まれてすぐに過剰なオモチャに囲まれ、外に出れば、アミューズメントパーク、テーマパーク、ゲームセンター、インターネットカフェ、カラオケボックス、レンタル店などの娯楽施設が口を開けて待っていてくれる状況。これでもかと娯楽を過剰に供給する社会。この社会に暮らしていて、欲を満たすことが当たり前、になってしまうのは、ある意味必然であり、「欲を満たすマシーン」、に日本人がなっているのだと思います。

「子供に我慢がなくなってきて困る。」と訳知り顔で述べる方もおられますが、我々大人が営んでいる産業の多くは、「人の欲をいかに引き出すか、人の欲をいかに満たすか、人の我慢をいかに壊すか」という戦略のもと、欲の対象を過剰に市場投入しているのが実態と言えます。つまり、子供の我慢の破壊を大人自らが演出しているわけで、決して子供だけに原因があるわけではない、ということが分かるはずです。また、大人が自ら率先して欲を満たす行為をして我慢しないのに、子供に我慢がなくなってきて困る、とは本来であれば、口が裂けても言えないセリフではないでしょうか。

過剰に欲の対象を供給していけば、人々の心は、「欲を満たさなければならない」という強迫観念を持ち、先ほど述べた「欲を満たすマシーン」となってしまい、「次々と欲を満たす対象を探し、際限なく欲を満たす行為にのめり込んでいく」、という愚かな人間を拡大生産していくことになります。エルメス、グッチ、プラダ、ヴィトンなどのブランド品を欲に任せて買い漁る、パチンコ、競馬、車、携帯電話、風俗店に填る、という愚かな諸行。そんな大人達を見て、子供達は、欲を満たすためだけの生活をどう思い、どう感じるのか?そんな大人達を心から尊敬し、尊重しようと思うのであろうか?大人達は、欲を満たすという行為を真剣に考えなければなりません。

「欲を満たすことの何が悪いのだ?」と、反論する方もおられると思いますが、欲とは煩悩であり、その煩悩を制限なく満たしていけば、動物以下、ということになります。人間は動物なのだから動物以下でも構わないではないか、との暴論があれば、我々人類の“大脳新皮質で思考できる理性”の存在は無視される、ということになり、人としての意味がないのではないか、下等生物と同等ではないのか、と危惧してしまいます。「怒って、欲を満たして、はいそれで終わり」、という人生は、爬虫類並の生き方と言えるのではないでしょうか?

私は、「欲を満たすことが人生である」、「人は金儲けをしてなんぼのもんじゃい、であり、金持ちになれば尊敬される」、と勘違いしている人が多いのではないか、と考えます。マリーアントワネットの末路を見れば、豊臣秀吉亡き後の豊臣家を見れば、欲を満たすことが人生である、という考えがいかに愚かであるかが理解できると思います。

人の生き方は、欲に振り回されていくのか、欲を制限してコントロールしていくのか、の二つに集約できるのではないでしょうか?ぜひ、胸に手を当て自分の人生を振り返って考えてみて下さい。

欲を満たす、ということに関連して、わがまま好き放題に生きることと、自由に生きることとが同じ意味で捉えている方がいますが、これは、全く意味が違います。それを理解するためには、地球という観点で考える必要があります。我々人類は、地球という有限の空間にて生を営むことを許された存在です。どんなに頑張っても、地球上に生きている以上は、全てにおいて有限であり、自由についても有限である、と言えます。

仮に、地球の中にある日本において、ある環境破壊を行えば、少なからず生態系は崩され、諸外国の人々、動植物、地球に対して悪いダメージを与えてしまいます。

「私がこれくらい悪さをしても大丈夫だろう。これくらいのことをするのは私の自由だ。」

との考えで、自由を謳歌して、わがまま好き放題をしてしまえば、確実に、迷惑をかけることになり、悪い影響を与えることになるのです。つまり、我々には、「有限の自由」は与えられているが、「「無限の自由」は与えられていない、ということです。自由をはき違えて「無限の自由」を主張する人がいますが、これは大変な間違いです。地球という有限の空間の中で、有限な存在である人間が、欲望だけ無限に求められるはずはないのです。我々人類は、「有限の自由」を守るために、自由を行使するにあたって、適切な制約を設けて履行していかなければいけないわけで、同じ意味で、欲を満たすことも有限であるべき、なのです。

欲を満たしたいという渇望感があるから、いじめが起こる、つまり「欲を満たすことが当たり前になり暇である状態を嫌う。その暇を解消するためにいじめを行う」ということですが、「欲は満たすものではなく、欲は制限するもの、と学ぶ」と図において説明しております。暇である状態を嫌い、飢えた狼のように欲を満たす対象を探している人は、「欲を満たさなければいられない症候群」になっていると言っても過言ではないわけで、その心の病を癒すためにも欲の制限を課題にされたらいいと考えます。

「いくら欲を満たしても満たされることは永遠にない」、「いくら欲を満たすためにモノを所有しても死後に持っていくことはできない」であるならば、欲を満たすことの愚かさ、そして虚しさはご理解頂けると思います。欲望が主人で自分が奴隷、になるのか、自分が主人で欲望が奴隷、になるのか、その選択は、あなた自身にかかっていることを認識し、しっかり自分と向き合って考えて頂ければ、自ずと正しい答えが見つかるはずです。

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