スポンサーサイト

  • --/--/--(--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

◆ 親子関係 ~ 暴力による攻撃 ~

  • 2007/06/28(木) 15:04:29

暴力による攻撃、これは、エスカレートすれば、児童虐待になり、その児童の生命さえ危ぶまれてしまう、危険行為です。児童虐待をしてしまう親の心理は、ここでは割愛させて頂きますが、その原因は、イライラ感が主ではないかと考えます。イライラ感が募り、子供の存在自体が面倒になり、善悪の判断ができないところで、虐待を繰り返しているのではないでしょうか。

こういった人は、もしかしたら、次のような質問をしてくるかもしれません。

「なぜ、虐待がいけないのか?」

虐待とは、「むごい扱いをすること、ひどくいじめること、残酷な待遇」であり、もし、この質問者に「あなたが一方的に虐待を受けたら、その行為を良いものだと言えますか?」と、問いかけたら恐らく、「それは困る。」等の言葉で濁し、その行為を肯定しないと思います。つまり、自分の行為(虐待)だったら良いが、他者の自分への行為(虐待)は良くないし、受け容れられない、ということです。

これは、何を言っているのか、といえば、自分に都合が良いものは正しく、自分に都合が悪いものは正しくない、という自己中心的で利己的な、主観性でしか物事を見ることができない、稚拙な考えを露呈していることを意味します。もっと、分かりやすく言えば、わがままで、どうしようもない考え、ということであり、この考えを持っている人間は幼い、ということです。

「なぜ、○○はいけないのか?」と質問してくる輩は、それが自分に降り懸かった場合を全く想定していないので、己に降り懸かるとなると、我に返り、即座に「ノー」と答えるわけです。自分本位でわがままな人間は、得てして、答えに窮する質問を世間に投げつけることで、自分の考えの正当性を主張したがりますが、所詮、根本を把握していない、上辺だけの人間であり、裸の王様とも言えます。

余談ですが、「なぜ、人を殺してはいけないのか?」という議論が、少年犯罪が頻発した時に行われましたが、人を殺してはいけないのは、自分に刃(やいば)が突きつけられた時に、同じセリフ、「なぜ、人を殺してはいけないのか?」とは吐けないからです。自分がやられて嫌なことは、相手に対してもしてはならない、だから、人を殺してはいけない、ということなのです。実に単純な話ですが、複雑怪奇な社会に身を置いていると、こういった問題すら解明できないくらいに、人は堕落してしまうものなのです。

話が虐待の是非に流れてしまったので、虐待を受ける側の子供の話について、ここで述べたいと思います。小学生くらいまでの子供にとっては、親は、とてつもなく大きい存在です。それは、親の庇護のもとに生活しているという意味と、体格として大きいという意味の二つの面のうち、後者の物理的に大きい、を意図しています。親が相対的に子供より大きいのは当たり前ですが、小学生くらいの子供にとっては、実際の2倍にも3倍にも見え、そして、声の大きさについても、実際の2倍にも3倍にも聞こえるのが、受け手の子供側の感覚なのです。

それを知らずに、親が子供に、暴力による攻撃をすれば、実際の数倍の暴力を受けたことに匹敵し、怖れをなして、心を閉ざしてしまうのもある意味、仕方がないと言えます。また、親は、自分が子供に対して権力を握っているという傲慢さがあるために、どんなに暴力を振るっても、最後には自分のところにしか帰る場所がないことも、知っているという卑怯さを有しています。しかし、子供にとっては、親が唯一の頼りであり、いくら暴力を受けても、親に認められたいという気持ちがあるがゆえに、自滅とも呼べる道を歩んでしまうのです。これだけ健気な子供の心情を汲み取れない親というものは、親失格の前に、人間失格と言ってもよいのではないでしょうか。


暴力による攻撃、つまり虐待は、絶対に許されません。それは、「自分が虐待されて嫌なら、相手に対しても虐待してはならない」、という道理があるからです。虐待、という行為が一体どういうことなのか、それをしている自分は人として道を外していないのか、をしっかり省みて、人として正していくところを正していかないと、いつでも極悪犯罪人になってしまう可能性があることを親達は肝に命じなければなりません。

親子間の攻撃的な態度を「言葉による攻撃」と「暴力による攻撃」と、2つの観点から論じてみました。いずれにせよ、子供にとっては、耐えられない事柄であり、それは子供自身が存在意義を問いただしてしまうくらい辛い事象なのです。

「僕は、本当に生きていていいのだろうか。僕は、悪い子で存在してはいけないのではないだろうか。」

このような迷いの言葉を発してしまう子供達は、今世の中に大勢いるのではないか、と危惧してしまいます。また、このような考えに苛まれていると、得てしていじめの標的にされる可能性が高いと言えます。自分の存在に自信がなく、常におどおどしてしまう様子は、周囲から見れば、からかいの対象に映ってしまうからです。親は、成人していない子供に対して、過度に攻撃的であってはなりません。それは、悪たらしい行為であり、後々子供に悪い影響を確実に与えます。迷いの言葉を発し、途方に暮れる子供達を作らないためには、親はこの事実を真摯に受け止め、心を改める努力をするしかありません。

それと同時に、精神的にまだ幼い子供に対しては、

「生まれてきてくれてありがとう。君は生きていっていいんだよ。」

との心からのメッセージを親は、時あるごとに伝えるべきでしょう。

また、子供の存在を認めてあげるというこの行為は、その子供に社会で生きていく上での、最初のパスポート(人生の通行証)を手渡すことになるので、ぜひ親は、パスポートを持った子供にしてあげ、社会に出ていく後押し、応援をして頂きたいと思います。親からパスポートを貰った子供達は、間違いなく前向きであり、内に対する不安が少なく、外に対しての一歩を自ら選び進めていくはずです。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ いじめ・登校拒否へ
↑↑↑ ランキング参加中!応援クリックお願い致します!

スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。