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⑥いじめの原因にどう対処していくのか

  • 2007/10/02(火) 17:42:37

いじめについて、様々な角度から見てきました。ここで、いじめに関して繰り返しにはなりますが、整理したいと思います。

いじめの原因の背景になるもの → 「大人世代の腐敗」

いじめの原因 ①優越欲がある
       ②善悪の判断がつかない
       ③いじめがおもしろい
       ④欲を満たしたいという渇望感がある
       ⑤イライラを解消したい

①の優越欲というのは、本能であり、人が生まれながらにして持っているものです。では、この優越欲を満たし、優越感を味わう行為が正しいのか、と言われれば、決して正しいものではありません。いじめで相手の価値を引き下げることで、優越欲を満たすことは、利己的そのものだからです。

この優越欲は、人が本来持っているものと認識した上で、その優越欲は容易に出してはならないもの、容易に満たしてはならないもの、と理解し、子供世代に教えていくことが大切です。

ところが、人は、「大人世代の腐敗」という背景のもと、欲望を満たすことを暗に肯定しているところがあり、その結果、優越欲さえも満たしても良いだろう、と解釈してしまうのが、今の日本人の感覚と言えます。欲望を満たすことは制限されるべき、と学び、優越欲も同様に制限されるべき、と認識することで、いじめ発生は抑制されていきます。


②の善悪の判断がつかない、ですが、これはそもそも明確な判断基準がなかったことが最も大きな要因だと言えます。従来は、道徳等を基準に善悪の判断がなされてきました。しかし、道徳には、一貫性がなかったり、矛盾を内包していたりして、明確な基準としては機能してこなかったのが事実です。

そこで、善悪の判断基準には「道理」を挙げ、悪をしっかり認識していくために「正しい反省の励行」を挙げました。
善悪の判断に際しては、道理に照らし、道理に沿っているのか、道理に反しているのか、を判断基準に判断します。ただ、道理のみで善悪を体得していくのは困難であり、反省という行為が必要になってきます。
反省という行為は、悪いことをした時に自分の心を振り返り、自分の心の中の悪しき部分を見つめる行為です。この悪しき部分を知り、受け容れることで、人は悪というものを学びます。悪というものを知れば、当然その反対である善も分かるようになり、結果として善悪を理解できたということになります。また、反省という行為は、謝罪を伴った形で行うことが重要であり、外すことはできないことも念頭におくべきです。

道理を学び、体得する。正しい反省の仕方を学び、体得する。この2点を体得するのは、容易なことではないので、日々修練することが必要です。そして、修練していくことで、善悪の判断基準が自分の中に芽生え、最終的には、自分で善悪を明確に判断できるようになります。

ところで、今なぜ善悪の判断がつかない人達が多くなったのか、と言えば、それは、「大人世代の腐敗」を背景に、「道理を教えられない」「正しい反省の仕方を教えられない」「反省の習慣化ができない」という要因が発生して、その要因がために善悪の判断がつかない人達が多くなったと言えます。

また、「大人世代の腐敗」を背景に、多様性社会が蔓延してきました。その多様性社会が許してきた風潮には、「なんでもありの風潮」「「おもしろ至上主義の風潮」「注意・指摘することはタブーとする風潮」がありますが、これらの風潮により反省する機会が極端に減ることになりました。その結果、反省する機会が減ることで自分の中の悪を見つめる時間がなくなり、善悪の判断がつかない人達が多くなってしまったと言えます。

③のいじめがおもしろい、ですが、これは、「大人世代の腐敗」を背景に、テレビ等のメディアが劣化し、いじめやいじりはおもしろい、という強い刷り込みを行ったことが原因と考えられます。いじめがおもしろいという刷り込みを受けた人間が、適当な人間に対していじめを行うのは、善悪の判断基準が希薄な人間にしてみれば、ごく当たり前の行動パターンと言えます。

そもそも、いじめがおもしろいことなのか、と言えば、決しておもしろいことではありません。いじめは、先に優越欲と述べましたが、言い換えれば欲望であり、欲望を制限なく満たすことは悪しき行為であることから、必然的にいじめは悪しき行為と言えるわけです。

いじめが悪しき行為である、との認識ができたならば、たとえテレビ等でいじめやいじりが肯定されたとしても、その喧伝に負けることなく、道理に沿った生活をすることが必要です。


④欲を満たしたいという渇望感がある、ですが、欲を満たすことが当たり前になり、欲を満たせない状態、暇な状態を嫌うことが原因と考えられます。

これは、まず「大人世代の腐敗」を背景に、欲の対象を過剰供給する社会を構築したことで、欲を満たすことが常態化したと言えます。そして、人間というものは、欲を満たすことが常態化してしまうと、その欲の虜になり、欲を満たさずにはおれない状態になってしまいます。従って、仮に、欲を満たせないという状況に出会うと、禁断症状が出て、渇望感という感覚に見回れることになります。渇望感という状態のまま、暇な時間を過ごすことに耐えられない一部の人間は、手近なところで、いじめを行ってしまうということなのです。

今の時代において、欲を満たすことは肯定されている風潮であるので、なかなか渇望感を消すことは難しいことと考えられます。しかし、人間は欲まみれで欲望を際限なく満たしていいわけではなく、欲望は制限するもの、と学ぶべきです。欲望を制限して生活することが当たり前になってくれば、当然、渇望感自体も不用意に出てくることもなく、従って、いじめをしようとの思いも持たなくなると考えます。

⑤ イライラを解消したい、ですが、このイライラが起こる原因は、物事の真実を知らないために、自分や周囲に対して妄想を抱き、期待をかけ、その期待に見事に裏切られることにより落胆するからであります。なぜ、物事の真実を知らないのかと言えば、それは、「大人世代の腐敗」を背景に、キレイごとが強調され、真実が軽視されたからです。

また、「大人世代の腐敗」を背景に、不条理な社会が蔓延し、その不条理さに対してイライラ感が発生していることも挙げる必要があります。本来、人間というものは、条理な考えを持ち、不条理な考えを嫌うものなので、今現在ある腐敗しきった社会に触れてしまうと、あまりの不条理さ故に、イライラが出てしまうのです。

イライラを根本から解消するためには、イライラを圧力で押さえつけるのではなく、物事の真実をしっかり学び、キレイごとというデタラメに左右されないこと、そして、自分が抱く勝手な妄想に振り回されないことが大事です。そして、不条理な社会に対しては、一人一人が考えを改め、道理に沿った生活をすることで、条理な社会を実現していくしかない、と考えます。


以上、大人世代の腐敗といじめの原因との関係を示しながら、いじめの解決に向けての考えを説明してきました。その中でも、特に重要なのは、「道理を学ぶこと」、「正しい反省の仕方を学び、しっかり反省し、謝罪を行うこと」、「物事の真実を学ぶこと」の3点が挙げられます。これらは、人として生きていく上で、基本となる智恵であり、この智恵なくしては、人が人になれないとも言えます。今、起きている大人世代の腐敗は、そもそもこの智恵を修得していないところに原因があり、この智恵を学び、しっかり修得していけば、この腐敗も軽減していきます。

いじめの原因の背景は、大人世代の腐敗としました。まずは、大人世代が智恵を学び、修得し、この腐敗社会を修正していくことが先決です。それと同時に、大人世代は、智恵を体得した中で、子供世代にも正しくこの智恵を教え、一緒に世の中を浄化する気運を高めていかねばなりません。

日本社会を腐敗社会からまともな社会に変革するためには、大人世代と子供世代の相互の理解が必要であり、それを基礎にして、今後、協力し合いながらの社会作りを実行するべきです。大人世代は子供世代を信頼し、子供世代は大人世代を信頼していく中で、社会の歪みの根源であるいじめ問題という猛威も、いつのまにか和らいでいくはずだ、と確信しております。

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⑦いじめ問題への注意論点

  • 2007/10/08(月) 12:16:58

◆ 火の円陣理論

  • 2007/10/08(月) 12:18:46

いじめられている子供に対して、「強くなれ!」とか、「強い心を持て!」とか、「強い気持ちで立ち向かえ!」とか聴きますが、これは正直に言って無理な相談と言わざるを得ません。もし、そうすることができれば、すぐに実行するだろうし、もし強くなれる方法論があれば、みなその方法論に沿って鍛えているはずです。ところが、日本中、どこを探しても強くなるための方法論などないのが現実であり、こういった意味のない精神論は、子供にとっては、暴論としか言いようがなく、迷惑な存在でしかないのです。

なぜ、「強くなれ」、というのが無理な相談なのか、を分かりやすい例えに沿って説明します。

直径2メートルの円があって、円に沿って引火性の油を注ぎ、その円の中心に、A君は無理矢理立たせられ、すぐさま、油に火をつけられ、見る間にA君は、火の円陣に囲まれるという状況になったとします。
この時、円の外にいたB君が、「A君、心を強く持てば、大丈夫だ。耐えられる。頑張れ。」との励ましの声をかけましたが、火の円陣は、A君の背丈に達する勢いで、火力が弱まる兆しはありません。

いくらA君が心を強く持ち、頑張ろう、生き抜こう、と決心したとしても、火力の程度が強い場合には、最終的に、焼け死んでしまうことでしょう。
それを、B君は、当事者ではないという立場で、安易に精神論を説いて励ましていますが、言われたA君にしてみれば、「どう頑張れというのか」、ということだと思います。

所詮、人間である以上、火力の程度が強い場合には、限界があるわけで、B君のように、ただ精神論を説くという応援の仕方をするのではなく、火の円陣を消火したり、火の円陣の中に飛び込んで一緒に耐えたり、という方法がA君を救う現実的な方法と言えるのではないでしょうか。

この火の円陣という例えをいじめに当てはめて考えてみます。

A君は、直径2メートルの円の中心に立たされ、周囲に5人のいじめる同級生が立っていたとします。A君は恐ろしくて円の中心から微動だにできず震えていました。5人は悪口を言ったり、ケリを入れてきたり、と、いじめを開始しました。その時、B先生が丁度現場を通りかかり、円の外から「A君、心を強く持てば、大丈夫だ。耐えられる。頑張れ。」との声をかけましたが、5人のいじめは執拗を極め、A君はただただ泣き崩れるだけでした。

この例えは、現実的ではありませんが、この先生のような励ましがあった場合に、A君のようないじめられている子供が奮起して相手に立ち向かっていくことはないでしょう。

いじめられている子供にとっては、常に見えない加害者が周囲にいるような状態で生活を送っているようなものであり、B先生のように、安易な精神論で励まされたとしても、目に見えない亡霊である加害者自体が排除されるわけではないので、なんの力にもなりません。むしろ安易な精神論により、己の弱さを呪い、責め、さらに精神的に追い込まれているのではないでしょうか。

B先生が、このA君を救うためには、火の円陣の例のように、加害者を消滅させたり、A君の側に寄り添い精神的な支えになってあげたりすることだと言えます。

加害者を消滅させることが難しいのであるならば、せめてA君の側に寄り添い、A君の辛さを分かってあげる良き理解者になることが必要なのではないでしょうか。

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◆ 「空気を読め!」は、いじめられた人間以外を擁護する

  • 2007/10/12(金) 18:57:05

前述した通り、「空気を読め!」とは、「場の雰囲気優先主義」であります。周囲の了解なしに突出することは許されない、という保守的で横並びの発想から来るもので、小心者の考えと言うことができます。

ある学校で、いじめの事件調査のために、いじめられた生徒以外の生徒にも調査したい、との打診を教育委員会がしたところ、PTAの反対と次期担任の反対があり、頓挫してしまった、というケースがあったそうです。

次期担任の反対の弁は、「私は、他の子供が全員傷ついていると思っているんです。だから、聞くこと自体が私は子供を傷つけると思っているんです。」という内容で、終わったことに対して、もうこれ以上関わりたくない、という主旨のようでした。これは、どういうことかと言えば、弱者は救済しないで、大多数の強者を救済したい、と、解釈してもいいと思います。また、いじめという行為に対しての重み、被害者の苦しみに対して、この教師は軽く見ていることも窺い知ることができ、教育の現場で人の成長に携わる人間としては不適格と考えざるを得ないでしょう。

「いじめがあったからって、他の生徒の迷惑になるのだから、事を荒立てるなよ!」

次期担任は、恐らくこういった考えの持ち主であったと分析されます。この考えの根底にあるのは、いわゆる「空気を読め!」であります。「悪い事件であったとしても、他の大多数の人間に迷惑や影響を与えるならば、空気を読んで、なかったことにしよう、場の雰囲気を最優先にしよう、泣き寝入りをしてくれ」、というものです。これは、教育現場のみならず一般社会、会社生活においても蔓延している悪しき慣習になっています。そして、この悪しき慣習を悪しき慣習であると糾弾し、その慣習を止めさせようと、率先垂範する人間もいません。この慣習は、一部の利得を得ている強者の論理であり、到底許されるべきものではありません。

次期担任は恐らく、学生時代から空気を読め、という考えに無意識下で心酔し、常に大多数派に付く、という行動をしてきた人物だと推察されます。もし仮に、教育委員会の調査を受けます、との言を述べれば、PTAや学校関係者から非難を浴び、吊し上げられる可能性があるわけで、善悪で判断したというよりも大多数派につくという安直な選択を行使したと言えます。

「空気を読め!」と言える人間は、強者であり、みなのコンセンサスを取ることに長けている、この世の中で言えば、好人物、とされる人です。みなに好かれている、支持されている、イニシアティブがとれる、と高慢になっているタイプの人間で、人の弱みや痛みを心の底からは理解できない、上辺だけを取り繕い続けている卑しい人間とも言えるでしょう。

今の時代、この腐敗しきった社会において、私も含め、こういった卑しい部分を必ず持っているわけで、これは、保身から来るもの、自己中心性から来るもの、であり、まずは己の心と向き合って反省していかなければいけないと考えます。

「私はそんな考えはないし、人へのおもいやりもある」と反論されてくる方もおられると思いますが、この腐敗社会の中で生きている以上、環境に感化されないはずはないので、過信による自己評価をしないで真摯に自己と向き合って頂きたいと思います。

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